総研大 文化科学研究

論文要旨

恋歌の歴史― 江戸時代を中心に

国際日本文化研究センター 研究部教務補佐員 岩井 茂樹

キーワード

恋歌、江戸時代、儒学、実情、作為的、質量変化

本論稿は、従来ほとんど注目されてこなかった、江戸時代における恋歌について考察したものであり、当時、恋歌がどのような状況にあったのか、を明らかにすることを、目的としている。本稿では、前時代との差異を明確化し、結果として江戸時代における恋歌の様相が浮かび上がるような方法をとった。以下、本論稿で明らかになった事を列記する。


(1)江戸時代より前の時代についていえば、恋歌はその始原において、「天人感応」という、宗教的思想が強く意識されていた。室町時代前後になると、その効用や、恋歌こそ歌の本質である、といった言説が見られるようになる。だが、その一方で、連歌においては、恋の句が面白くなくなってきた、といった指摘がある。おそらく、16世紀には恋歌についても、同様の指摘がなされていたものと推察される。

(2)江戸時代、数の上では恋歌を詠む必要性を説く人々が多いが、儒教の倫理観に加え、実情を詠んでいない(虚構である)、といった非難が、儒学者を中心に行なわれた。

(3)儒学者たちによる恋歌非難は、女子教訓書から始まり、当初(17世紀)は女子の詠歌行為のみを非難の対象としていた。つまり、古歌の恋歌や、男子の詠歌行為には非難が及んでいなかった。18世紀に入ると、まず古歌の恋歌も非難対象となり、間もなく男子の詠歌行為さえも、その対象となった。

(4)平安時代以降に成立した歌集の恋歌比率を調査した結果、時代が下るに従い、恋歌比率が低下しており、江戸時代には恋部のない歌集、つまり恋歌を全く載せない歌集までが現れることがわかった。

(5)恋部の巻軸部に注目し、その質的変化を探った結果、二つの大きな変化が見られた。第一は、『千載和歌集』(1188年成立)以降、巻軸歌に「うらむ」歌が配され、「うらみ歌」の歌群が、巻軸部に偏って配されるという構造が、『新後撰和歌集』(1305年成立)頃から顕著になってくる。第二は、14世紀前後から、「恋の経過順」、「寄物題歌」という二部構成を有する歌集が編まれるようになる。そして、徐々にこのような二部以上の構成をもつ歌集が主流となり、江戸時代にはほぼこのような形が一般的になる。江戸時代は、これらの変化の定着、完成期であったと位置づけることができる。これらの変化は、恋歌をより作為的なものと感じさせるという働きをしたと思われる。

 

以上の考察から、江戸時代には、恋歌が批判され始め、歌集における比率も低下しており、質においてもかなり作為的な印象を与えるものになっていた、と言えよう。しかし、その一方で、一部の歌人たちは歌語や歌題によって新境地を切り開こうとしており、近代短歌へと繋がる要素も見出すことができるのである。

(受理日:2005年1月15日 採択日:2005年3月29日)