総研大 文化科学研究

論文要旨

エチオピア北部、ティグレ州の岩窟教会堂壁画
―マリアム・コルコル修道院教会を例に―

2004年度・国立民族学博物館・特別共同利用研究員 米倉 立子

「エチオピア北部、ティグレ州の岩窟教会堂壁画−マリアム・コルコル修道院教会を例に−」と題した本論考において、筆者はこれまで日本では美術史側からの研究が行われてこなかった、エチオピア北部の岩窟教会堂壁画を対象とし、その装飾プログラムを論じた。

今回論じたマリアム・コルコル修道院教会は、13世紀後半から14世紀頃に創設されたと考えられる急峻な岩山の山頂に穿たれた岩窟教会堂であり、壁画が多く残されている。

本論考での筆者の目的は、第一に堂内のあらゆる壁画の細部も含めたディスクリプションであり、第二にそこから各場面の配置と組み合わせに示唆される相関関係、神学的な図像解釈を行うことで、画家、あるいは壁画の構想者が組み立てたであろう装飾プログラムを読み取ることである。

この教会堂は方角軸が北寄りにずれているが、西が正面で東が内陣となる三廊式の矩形プランを採っている。西正面の入口から教会堂に入った地点の北東壁に描かれているのは、楽園における原罪の瞬間である。その奥には、巨大な大天使ラファエルが描かれる。さらにその奥の壁画は、上下二段の場面構成になっており、上部にマエスタス・ドミニ(栄光のキリスト)、下部にキリストのエルサレム入場が描かれる。その場面にちょうど対面する、反対側の南西壁には上部に聖母子像、下部にユダヤの三人の若者たちが二段構成で描かれている。

そうした壁画の配置から、筆者の想定する図像プログラムは以下のとおりである。教会の入口に当たる地点は、外の世界と堂内の世界の境界である。原罪によって楽園を追放されたアダムとエヴァの子孫が暮らすのが、修道院の外に広がる実際の「現世」の世界であり、失われた楽園の奥には、神へと至る道筋としての修道院教会堂が広がっているのである。そして「主の御前に使えている七人の天使の一人」であるラファエルが、悪の侵入を塞き止め、自らの存在の奥に広がる神の領域を暗示している。ラファエルの奥に描かれるマエスタス・ドミニ像がまさにそれを表している。その下にはキリストの受難を示すエルサレム入場が描かれる。対面する南西壁の聖母子像は、円形のクリペウスの中に立つイエスを聖母が捧持しており、イエスの人類の犠牲としての意味を強調するエチオピア唯一の図像型を採っている。受肉のみならず、受難をも表象する聖母子像と、それに対面する壁画は密接に関っており、原罪に始まる人類の罪の償いのために、マリアを通じて受肉したキリストは役目を果たすために受難が待つエルサレムへと自ら進む。受難の体験を経て、キリストは死からの復活を実現した後昇天し、やがては再臨のときを迎えるのである。その文脈の中で、マエスタス・ドミニ図は時に昇天図、時に再臨図としての意味も担ったのではないかと筆者は考えた。不動の図像の中に意味的には上昇や下降の動きが暗示されていると思われる。さらにマエスタス・ドミニ像そのものとしてみなす際には、具体的な空間や時間を超越したより抽象化された次元での「顕現」、永遠的臨在を表象していると考えた。原罪から始まる一連のキリスト教的歴史観のクライマックスとして、マエスタス・ドミニ像が位置づけられているのである。

教会堂のプラン上での方位と奥行きに沿えば、より奥の司祭しか足を踏み入れることの出来ない隠された神域こそが最重要であるが、壁画装飾プログラムのクライマックスであるマエスタス・ドミニはそれより手前に描かれており、建築と壁画の位置のヒエラルキーが一致していない。筆者は、巧妙に組み立てられた一連の壁画プログラムがその効果を発揮するように、あえて誰にでも見える範囲で帰結することが優先され、建築と壁画のヒエラルキーの帰結点の不一致は当初から意図的であったはずであると結論付けた。

(受理日:2005年1月15日 採択日:2005年4月4日)