総研大 文化科学研究

論文要旨

『枕草子』における「唐鏡」考

―「心ときめきするもの」章段を中心に―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻 張  培華

キーワード:

枕草子、唐鏡、うれしき心、唐代伝奇小説、古鏡記、宝鏡

『枕草子』「心ときめきするもの」章段は、三巻本、能因本、前田家本、堺本の四系統本文が存在する。また加藤盤斎(一六二一〜一六七四)が校正した異文があることは知られている。

本稿では、この章段のうち、「唐鏡のすこし暗き、見たる」に関する代表的な加藤盤斎『清少納言枕双紙抄』(延宝二年〈一六七四〉五月)の「うれしき心」と北村季吟(一六二五〜一七〇五)『枕草子春曙抄』(延宝二年〈一六七四〉七月)の「哀れなこころ」の解釈について検討する。「心ときめきするもの」として、「唐鏡のすこし暗き、見たる」という真相を究明する。

盤斎と季吟がほぼ同じ能因本系統本文による校正した本文には、盤斎が校正した本文には見える異文が、季吟の本文には見えないことに注目し、この他に三巻本、前田家本、堺本の本文を比較して検証することにより、特に「暗き」と「曇り」の本質を解明し、盤斎の「くらきみいでたる」に拠る「うれしき心」と季吟の「曇り」に拠る「哀れなこころ」と解釈する原因と理由を明らかにした。

そして、「うれしき心」に従う「暗き鏡」を注目し、日本と中国古典における鏡についての表現を考察した結果、唯一の唐代伝奇小説『古鏡記』において「宝鏡」は、暗き特徴があることは明らかである。したがって、「心ときめきするもの」章段の「唐鏡」が、唐代伝奇小説『古鏡記』「宝鏡」を指すことは、「うれしき心」と「心ときめき」の原義と一致する。

「唐鏡のすこし暗き、見たる」という意図の真相は、唐代伝奇小説『古鏡記』による「宝鏡」の典拠である。「唐鏡のすこし暗き、見たる」の解釈は、「心配」ではなく、理想的な「宝鏡」と思い期待する「心ときめきする」心情を表すのである。

『枕草子』「心ときめきするもの」章段は新たな「うれしき心」と読むことが可能である。また、『枕草子』における難解部分を解明するときに、漢文学からの影響について不可欠な視点と考えることが可能になってくる。