総研大 文化科学研究

論文要旨

芭蕉における『本朝一人一首』の受容

―『嵯峨日記』・『おくのほそ道』を中心に―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻 陳  可冉

キーワード:

芭蕉、本朝一人一首、嵯峨日記、おくのほそ道、林鵞峰、日本漢詩、俳諧

林鵞峰編『本朝一人一首』(寛文五(一六六五)年跋刊)は、日本漢文学の本格的な研究書の嚆矢として、新日本古典文学大系にも収録された名著である。今から三百二十年前の元禄四(一六九一)年、同書が落柿舎の机上にも置いてあったことは、芭蕉の『嵯峨日記』によって知られる。

落柿舎中の芭蕉は『本朝一人一首』を読み、中の詩作に対する自己の所感まで書き残しているのである。『本朝一人一首』が芭蕉と日本漢詩との接点を裏付ける重要な糸口であることは間違いあるまい。ところが、芭蕉研究における『本朝一人一首』の意義をめぐって、これまで十分な検討がなされているとは言い難い。本稿では、『本朝一人一首』の性格と特徴をよく把握した上で、『嵯峨日記』と『おくのほそ道』を中心に、芭蕉における『本朝一人一首』の受容について若干の考察を試みたい。

『嵯峨日記』四月二十九日・晦日の条は、いわば『本朝一人一首』の読書メモにあたる。稿者は、その前日である四月二十八日の条に焦点をあて、現在最も信頼された『嵯峨日記』の底本である野村家蔵本(原本所在未詳)を参照しつつ、四月二十五日の条の末尾との比較によって、『嵯峨日記』には本文と自注という二種類の異質な文章が併存し、しかも芭蕉はそれらを意識的に書き分けているのではないかと論じる。次に、「思夢」の話を扱う『本朝一人一首』巻五・高階積善「夢中謁白太保元相公」に注目し、芭蕉が評釈の手法を好んで用いたのは『本朝一人一首』の詩評からの影響であろう、という見解を述べる。

以上の結論を踏まえて、執筆時期が『嵯峨日記』に近い『おくのほそ道』をも俎上に載せ、句評の形式で曽良を紹介した「黒髪山」を取り上げ、鵞峰の詩評の特徴に合致した芭蕉の行文を分析する。さらに『おくのほそ道』「立石寺」・「尿前の関」における語句の出典として、『本朝一人一首』巻六・藤原実範「遍照寺翫月」と巻三・空海「在唐観昶法和尚小山」を指摘し、芭蕉と『本朝一人一首』所収の日本漢詩との関わりを探る。