総研大 文化科学研究

論文要旨

徳宏タイ族社会の「うた」の職能者

―文脈の変化に関する考察―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 地域文化学専攻 伊藤  悟

キーワード:

徳宏タイ族、掛け合いの「うた」、「うた」の職能者、「うた」の協働性

かつて徳宏タイ族社会では、即興の掛け合いの「うた」は、生活の様々な場面においていつでも聴くことができたという。「うた」をうたう能力あるいは技術は、田畑の労働や家事をこなすことと同様に、誰もが生活の基本として自然と培われるものと考えられていた。しかしながら、文化大革命と急速な現代化を経験した若い世代からは、この「うた」の技術を生活の中で身につける者は減少し、現在では普遍的能力だった「うた」は特殊技術としてみなされ始めている。

近年の村落では、結婚式や盛大な儀礼のさいに、「うた」に熟達した民間の職能者を招いてパフォーマンスを行ってもらい、加えて記念のために儀礼の様子と職能者の「うた」を撮影してVCDやDVDといった映像メディアを制作することが流行している。「うた」が生活のありふれた風景の中でうたわれなくなった現在でも、徳宏タイ族は「うた」を実践する文脈を変えながら、「うた」をうたい、聴き、鑑賞する感性を持ち続けている。掛け合いの「うた」は、協働で生み出されるイメージを人びとのあいだで反響させ、得られる感性的経験を人びとに共有させるという特徴がある。職能者が社会的地位を得て人前でうたうようになり、「うた」はその本質的特徴を変えることなく、新たな社会的価値を獲得するようになった。

本研究は、「うた」の実践の社会的側面から「うた」の現状を捉えることを試み、現在徳宏タイ族社会において「うた」の職能者がどのような仕事を行って社会的地位を獲得しているのか、「うた」をうたい聴くことの協働性を実践の文脈の変遷から記述し、「うた」が人びとを魅了する特徴と新たな社会的役割を考察する。