総研大 文化科学研究

論文要旨

藤原定家『下官集』伝本の研究(一)

―模刻本・国文学研究資料館蔵『定家卿書式』を中心に―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻  吉田紀恵子

キーワード:

藤原定家、『下官集』、定家様、三藐院関白臨定家卿書、三藐院近衛信尹

藤原定家『下官集』は、「一 書始草子事」「一 嫌文字事」「一 仮名字かきつゝくる事」「一 書哥事」「一 草子付色々符事 和漢有之」の五条から成る、最初に成文化された和歌書記の作法書である。

管見ではあるが、二十七本の『下官集』伝本(模刻本・二本、写本・二十五本)を調査し、内容を比較した結果、書名のみならず、一部の伝本を除き、五条構成という点は共通するが、内容および書式も一定とは言えず、誤読および誤写から生じたとは考えられない差異も存在することが解った。そのため、複数の『下官集』祖本の存在も考えられる。しかも、定家自筆『下官集』の存在についての報告は未だ無い。したがって、研究を進めるに際し、定家自筆『下官集』に代わり、基盤となる伝本の確定が重要である。

先行研究に於いて、国語学の領域から吉沢義則氏及び大野晋氏、国文学からは浅田徹氏が、模刻本・大東急記念文庫蔵『定家卿模本』を、本文の内容の優秀性および、伝本中唯一、「定家様」と称される、定家独自の書風で記されていることを根拠として、『下官集』研究の最善本と位置付けている。

此の模刻本・大東急記念文庫蔵『定家卿模本』の冒頭、即ち本文の前に、「三藐院関白臨定家卿書」、即ち、定家自筆本を、三藐院関白近衛信尹が臨書した、と言う由来を示す題名が記されているが、この『下官集』本文には、定家の署名および書写年月日は記載されていない。しかし、稿者は、この模刻本の由来、更に、書風が定家独自の書風、即ち、後世、「定家様」と称される書風であることに注目した。

古来、定家の書風は「定家様」として尊重されてきたが、その書風が年齢により変化していたことは、一般的には知られていなかった。しかし、定家の書風の変化については、既に、稿者の師・飯島春敬氏(書家)が注目し、現在、名児耶明氏・島谷弘幸氏らにより立証されている。

従がって、本稿では、現存する若年から老年に至る、執筆年あるいは執筆時期の判明している定家真筆の書風と、大東急記念文庫蔵『定家卿模本』および同一の模刻本・国文学研究資料館蔵『定家卿書式』の書風を比較し、模刻本の原本である定家自筆『下官集』執筆時期の推定を行う。その結果を受け、これら模刻本を『下官集』研究の基準となり得る伝本と位置付け、これを基盤として、藤原定家『下官集』の研究を進める。