総研大 文化科学研究

論文要旨

IPR(太平洋問題調査会)と
アメリカの日本研究

総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻  南  直子

キーワード:

IPR、Pacific Affairs, 地域研究、ノーマン、サンソム、高木八尺

本稿は、太平洋問題調査会(Institute of Pacific Relations, 略称IPR)の調査・研究機関としての側面に注目し、アメリカにおける日本研究の発展に果たした役割について考察するものである。

IPRは、1925年にハワイで設立され、1961年までその活動を続けた民間の学術団体である。「太平洋諸國民ノ相互關係改善ノ為メ其事情ヲ研究スルコト」を目的として発足、アメリカに本部を、日本を含む各国に支部を置き、2~3年に一度、「太平洋会議」とよばれる会議を開催したほか、定期的に太平洋地域の調査・研究をおこなっていた。1995年に出版された資料によれば、IPRの出版物は、機関誌を含め約1,600冊に上る。そのような出版規模をもつ団体であるにもかかわらず、アメリカのマッカーシズムによって解散を余儀なくされたため、研究が避けられていた時代もあった。1990年代以降、研究が進んできたものの、太平洋会議を中心に、国際関係論や外交史の視点からその活動を論じた先行研究がほとんどである。しかしながら、IPRでは会議と同様、太平洋地域の調査・研究にも力を入れていた。

アメリカで広く「日本研究」がおこなわれるようになった直接の契機となったのが、太平洋戦争であり、戦後、地域研究の一側面として発展してきたことは知られている。そのような日本研究がまだ盛んでなかった1920年代から、IPRはすでに日本をその研究対象としていた。1930年前後には、2度にわたり、日本研究をアメリカで拡大させるための調査をおこない、具体的なプログラムも実施していた。戦後、外国人による日本論として広く読まれた、E・ハーバート・ノーマン『日本における近代国家の成立』や、ジョージ・B・サンソム『西欧世界と日本』の成立にも、IPRが関係している。

IPRは、①学術的日本研究をおこなった先駆的な機関であり、②全米の大学・機関における日本研究の動向を、初めて調査した機関でもあった。民間団体として調査・研究をおこなうというIPRの当初の目的は、時代とともに変化せざるを得なかった。だが、様々な日本関係書をのこしたその活動は、アメリカの日本研究において、先駆的な存在であったといえるだろう。