総研大 文化科学研究

論文要旨

海付きの低湿地における生業形態の変化と分業について

―浦安のハマとオカ―

千葉県立中央博物館 主任上席研究員  秋山 笑子

キーワード:

海付きの低湿地、農業、漁業、分業、劣悪な条件、計量的データ、千葉県浦安市

本稿の目的は、海付きの低湿地における農業について、歴史民俗学的な意義を考察することにある。農地として劣悪な条件下にある土地において技術の進歩と環境の変化に対応しつつ、分業化することによって生活の維持をはかってきた生業を記述し、その消滅までを通時な視点から考察する。その際、できるだけ数値によって把握できる資料と聞き取り調査によって、検討を進める。

調査地である千葉県浦安市は、1960年代後半以降に埋め立てられ、今では市域の約4分の3が埋立地である。かつて広大な干潟が広がり、豊かな魚介類と海苔養殖に最適な場所だった。漁業中心ではあるが、畑と田が存在し、収穫物のほとんどが自家用だった。

浦安は、明治末から海苔養殖や貝養殖を盛んに行うようになり、昭和初期頃からハス栽培を行うようになる。漁獲高が減少していたために、新たな技術として海苔養殖と貝養殖を導入していったと考えられる。また、ハス栽培は現金収入を計ることができ、これも新たな技術導入といえる。そして、昭和20〜30年代に稲作、ハス栽培、魚漁、貝漁、海苔などの生業を組み合わせて行うために、稲作では日雇とり、ハス栽培ではハス職人や洗いっ子、魚漁では行商、貝漁ではムキミ屋や行商、海苔では運び屋などに分業していった様子が伺える。

次に、浦安在住のN氏の昭和28年、30年、40年の3年分の手帳を分析した。その頃の浦安は、地盤沈下や工業用水取水による塩害、悪水等の公害、交通網の発達による都市化等によって生業構造の変化を余儀なくされていた。このような生業構造が変化する契機は、@各生業の盛衰、A技術の進歩、B個人的な要因、C公害などの環境変化、D社会的変化などが挙げられる。浦安は都市に隣接しているために、環境変化と社会的変化がほぼ同時に進み、結果として農業が先に立ちゆかなくなり、その数年後に漁業もできなくなる。こうした変化が、もともと農地として劣悪な条件下にある海付きの低湿地農業に致命的な影響を与えた。

本稿では、従来あまり注目されていなかった海付きの低湿地での農業を中心に、計量的データ等を活用することで、より具体的に生業の形態を明らかにしようとした。結果として、それぞれの業種を大きな規模で行うのではなく、細分化することにより均衡を保っていくことで、農地としては適していない土地での農業は成立し得た。