総研大 文化科学研究

論文要旨

雑誌『満洲浪曼』における北村謙次郎の文学理念

総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻  韓  玲玲

キーワード:

北村謙次郎、満洲国、植民地文学、満洲浪曼、満洲文学

満洲国の日本人作家を代表する北村謙次郎は、在満中、綜合文芸雑誌『満洲浪曼』を創刊、主宰した。この雑誌において、彼は「満洲ロマン」という文学理念を提唱した。この理念は、北村が満洲で追い求めた文学の本質を示すものであり、彼の文学の全体像を解明する鍵となるものでもある。本稿では、雑誌『満洲浪曼』の編輯内容を通して、この作家の「満洲ロマン」理念を検討する。

『満洲浪曼』は1938年に創刊された。当時の満洲国では、日本人文学者の創作発表の場が足りないばかりか、一般の文芸作品が日本人の目に触れる機会も少なかった。北村は、そのような現状を打破したいと痛感し、雑誌を作ることを決意した。『満洲浪曼』は満日文化協会の財政的協力のもと、首都の新京において、北村謙次郎の努力によって誕生した。

『満洲浪曼』は全六輯からなり、ほとんど北村の編輯によるものである。寄稿者には、吉野治夫、緑川貢、横田文子、檀一雄、木崎龍、逸見猶吉、長谷川濬、大内隆雄などがいた。誌面は小説、詩、随筆、評論などを中心に構成され、その他、音楽、映画、演劇といったジャンルにも目配りがなされ、綜合文芸雑誌としての多様性を窺わせるものとなった。特に第四輯の「満洲作家選集」と第五輯の「満洲文学研究」は、同誌を満洲国を代表する文芸雑誌として不動の地位につけた。

この雑誌を通して、北村は自分の文学理念を模索しつづけた。彼にとって文学とは、自己表現の手段であり、自分の人生体験の存在証明でもあった。彼は文学の純粋さを強調し、文学の功利性を根本的に否定している。その文学は苦心の結晶であり、生活に深く沈潜しないと出来るものではなかった。

その考えに基づいて、北村は「大陸日本人の生きかたの規範としてのロマン」を「満洲ロマン」(「大陸ロマン」)であると定義した。彼は日本文化の優越感などを一切捨てて、肌から満洲の風土を感じることを強調し、自分の「死」によって膚肉から満洲風土を吸収するというふうに主張した。そして、それによって、他民族と一体化することを望んでいた。

しかし、創刊から僅か3年のうちに、満洲国の文化状況は大きく変わった。『満洲浪曼』も、北村謙次郎の求めた「大陸ロマン」も、満洲国政府の「文化統制」によって息の根を止められた。それはつまり、北村謙次郎の満洲に託した夢の挫折でもあった。