総研大 文化科学研究

論文要旨

明治期日本文化史における記念植樹の理念と方法

―本多静六『学校樹栽造林法』の分析を中心に―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻  岡本貴久子

キーワード:

本多静六、B.G.ノースロップ、牧野伸顕、植樹、学校林、Arbor Day、プロテスタンティズム、実践道徳、山岳信仰

本稿で取り上げるテーマは、東京帝国大学教授本多静六林学博士が取り組んだ明治期の学校教育に関わる記念植樹である。ここでは特に本多が著した『学校樹栽造林法』や大学演習林における諸活動を拠り所に、明治期の学校植林の導入時における社会的背景や米国の学校植林思想、森林に係る法制度を検討することにより、近代日本における学校記念植樹の支柱となったと考えられる自然観について考察することを目的とする。

竹本太郎氏の先行研究の通り、明治28(1895)年、文部次官牧野伸顕は米国で営まれていたArbor Dayと称する植樹日に影響され、小学児童による学校樹栽を奨励する。今日、学校林と呼ばれる植林のさきがけと言える活動だが、当時の目的は第一に不毛な山林を有効活用し、且つ学校基本財産を増築することにあった。同時に皆で樹木を植えることは団体行動における児童の規律性や自然への愛好心、延いては国を愛する心の涵養に効果があるとして小学校教育に導入されたのである。

学校樹栽に係る方法論の構築を牧野より委嘱された新鋭の林学者本多静六は、「木一本首一つ」といわれた時代に行なわれたような厳しい山の労働として植林作業ではなく、「修学の記念」として風景を楽しみながら山に入り、健康づくりを兼ねた一種の運動会の如く、レクレーションの要素を備えた植林活動を推奨した。「百年の長計」という森づくりでは、持続可能であることが肝要であり、経済学博士の肩書きを有する本多は、費用をかけずに誰でも気軽に参加できる方法を論じ、楽しさをその活動の根本に据えたのである。

本多の説く学校樹栽造林法は、日露戦捷の動向やメディアの宣揚効果とともに各地に普及するが、これは本多の方法論が必ずしも西洋的、近代合理的な自然観に傾くものではなく、「不二道」という実践道徳の要素を含む富士山信仰を身に付けた、本多の伝統思想が生かされたところに構築された方法論であったことに基因すると考えられる。明治期の学校樹栽活動においては前近代と近代の、或いは東洋と西洋の自然観が効果的に発揮されたところにその展開を見たといえるのではないだろうか。