総研大 文化科学研究

論文要旨

音楽学校として機能する劇場

―改良楽器とモンゴル国カザフ民俗楽器オーケストラの事例から―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 比較文化学専攻  八木 風輝

キーワード:

モンゴル国のカザフ人、カザフスタン、モンゴル国、バヤンウルギー県音楽ドラマ劇場(BMDT)、改良楽器、音楽教育、実習生

本稿の目的は、モンゴル国バヤンウルギー県にあるバヤンウルギー県音楽ドラマ劇場(以降BMDT)における改良楽器奏者の育成状況を、当県の社会と関連づけて明らかにすることである。バヤンウルギー県はモンゴル国の最西部に位置し、人口の約9割をカザフ人が占めている。社会主義を経たバヤンウルギー県では、1950年代から音楽家の職業化が進み、BMDTは主にカザフ共和国(現カザフスタン)の影響を受けて、カザフの楽器を中心に演奏活動が行われてきた。BMDT内には1959年にカザフ民俗楽器オーケストラが設立されており、そこに所属する団員は主にBMDT入団時に「実習生」として入団し、改良楽器という入団時とは異なる楽器を演奏しはじめる。「実習生」とは、音楽大学卒以外の団員を対象に、「先生」から約6か月の期間、担当する楽器の演奏技術や楽典を学ぶ者のことである。現在のカザフ民俗楽器オーケストラでは団員の約半数が「実習生」を経験した後に、カザフの改良楽器に移行することで新たに改良楽器を学び始めている。こうした団員による改良楽器への移行と学びが生まれた社会的要因として、バヤンウルギー県とカザフスタン及びモンゴル国との歴史的かつ地理的な関係から、次の2点を指摘した。1点目に、現在のカザフ民俗楽器オーケストラの団員育成が「実習生」制度に依存している状況が見られる点である。1959年のカザフ民俗楽器オーケストラ設立時に、「実習生」が基礎となって設立されると同時に、カザフ共和国への留学によって専門的な音楽の指導者の育成がなされた。この「実習生」とカザフ共和国への留学は1990年代初頭まで続けられたが、1990年代以降、カザフスタンの独立による政治的かつ経済的な理由でカザフスタンへの留学が行われなくなり、「実習生」を経た団員が改良楽器を学ぶようになっている。2点目は、対照的に、モンゴル国の首都ウランバートルでカザフ人の音楽を学ぶ公的な教育機関が存在していない点である。同様に、バヤンウルギー県においても改良楽器がBMDTにしか存在しなかったため、改良楽器に関する専門的な教育が行われてこなかった。この2点から、BMDT内で改良楽器を演奏するために、独自に改良楽器を演奏できる人を用意する必要が生じた。そこで、BMDT内部でカザフの改良楽器の技術や楽典の教授といった音楽教育を行いながら、独自に改良楽器の演奏者を育成している状況が見られると結論づけた。