総研大 文化科学研究

論文要旨

ドイツ統治下の青島における日本人の進出(1897~1914)

―経済活動と情報収集活動を中心に―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻  単  荷君

キーワード:

青島、ドイツ、日本人社会、経済活動、情報収集、競争、連携

第一次世界大戦勃発から第二次世界大戦終結までの間に、青島は2度、合わせて16年に及んで日本の統治下に置かれ、上海と中国東北地方(旧満州)に次いで、日本による対中国投資の最も重要な中心地であった。日本帝国勢力圏の拡大と共に、青島もそのなかに組み込まれ、多数の日本人が青島に渡った。これらの人的移動は、資本、技術、生活、文化の移動を伴い、近代青島に看過できない影響を与えていた。従って、青島日本人社会の誕生、発展、終焉の過程と、それと同時に生じた青島社会の変容を究明することは、青島史のみならず、近代日中関係史、更に東アジア近代史上の青島の位置づけを再確認するために、極めて重要な作業である。

本稿ではドイツ統治時代、青島に進出した一般日本人居留民の経済活動と情報収集活動から、当時の青島の日本人社会の内部構造と日本人の活動の実態を論じた。特に日本人たちと植民地支配者であるドイツ人、現地中国人、そして母国日本との葛藤、連携を歴史的に検証し、ドイツ統治下の青島日本人社会の具体像と全体像を提示しようと試みる。

ドイツ統治下、青島と天津、大連、上海、香港、更に海を越え、日本、朝鮮、ウラジオストクとの間に人的・物的交流が行われていた。当時海外に自由に進出することのできた一般日本人たちも、この新開地に飛び込み、300人ほどの小さな社会を形成した。しかし、従来ドイツ統治下の青島をめぐる研究は、主にドイツの膠州湾占領とドイツの植民地政策を中心に行われ、日本人社会に着目する研究はわずかである。そこで、本稿は青島日本人社会の原点に焦点を当て、まず第1章で青島に進出した日本人の人数、ルート、出身地、職業、活動区域など日本人社会の内部構造について考察する。続く第2章では、植民地支配者と現地人の間隙を縫って商業活動に従事した日本人小商人、大手商社、そして人数の最も多いからゆきさんに着目し、彼らとドイツ人、中国人との競争や共存関係をみる。更に第3章では、青島日本人が携わったもう一つ重要な活動、即ち情報収集活動を通じて、彼らと帝国日本との協力関係を検討する。そして最終章では、ドイツ統治時代の青島で暮らしていた日本人が、日本の青島占領後にどのような結末を辿ったのか、その行く末を明らかにする。