総研大 文化科学研究

論文要旨

面会制度からみるハワイの戦時強制収容

―日系人抑留者とその家族の体験―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本歴史研究専攻  秋山かおり

キーワード:

太平洋戦争、ハワイ、戦時日系人強制収容、戒厳令、自主的抑留、サンドアイランド抑留所、ホノウリウリ抑留所、面会制度、捕虜収容所

本稿は、1941年3月より1945年8月頃までホノウリウリ抑留所に収容されていた日系人と社会に残された家族の体験を、そこで行われていた面会制度を軸に分析し、ハワイの戦時日系人強制収容についてのひとつの視点を提示するものである。

日米開戦とともに始まったハワイの日系人強制収容は、その日系人の一部が抑留された。しかしその傾向については、これまで当事者の事前選別に始まる逮捕、抑留、そして釈放などの事件の被害的な経過を中心に語られてきた。また、ハワイから約1,000名の抑留者の家族が経済的疲弊などにより、すでにアメリカ本土に移送された夫や父親と暮らすために、本土の日系人収容施設へ自ら抑留されたことも特徴とされてきた。しかし、真珠湾攻撃後から使用された湾岸沿いのサンドアイランド抑留所が閉鎖されオアフ島山間部ホノウリウリ抑留所が開設されて以来、そこを訪ねた家族の抑留者との面会を通じて生まれた体験については注目されてこなかった。

戦時下のハワイを生きた抑留者とその家族にとっては、この面会は苦痛をともなう行為ではあったものの、それぞれの生活において重要な位置を占めていた。面会の詳細については、複数のオーラルヒストリーから、軍のバスによる送迎、抑留者と家族の物資の交換などがあったことがわかりつつある。なかでも、抑留者の家族はハワイ社会から受ける差別と疎外感から、抑留所での「面会」を意識しながら社会生活を送り、抑留者は社会から隔離された日常生活を「面会」を楽しみにしつつ抑留生活を耐えるという、両者が面会を心に抱いて過ごしていたことに着目するべきである。「ホノウリウリとハワイ社会の一体化」のようにもみえる面会は、抑留者とその家族の、抑留所の内と外に分断されてしまったそれぞれの生活を近づけようとしていたことの現れだと考えられるからである。「ホノウリウリ」は抑留所でありながら、両者が戦時下の生活を耐えるための「確認の場」ともなっていた。

しかしハワイに残った抑留者とその家族の問題については、抑留者と家族がともに暮らせる居留区を抑留所内に造る案が連邦政府と軍政府により検討されたが実現しなかった。戦局の変化により太平洋戦線から送られてくる戦争捕虜のための用地を確保しておく必要があったからである。

またオーラルヒストリーから、軍部の抑留者管理の方策として、所内で穏当でいるようにという抑留者側への交換条件が付随していた、という可能性もある。このような軍部の面会の利用は抑留者と家族の経験へのより深い洞察とともに、今後の調査が必要だと考える。