総研大 文化科学研究

論文要旨

北村謙次郎文学における白系ロシア人イメージ

―「苦杯」を中心に―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻  韓  玲玲

キーワード:

北村謙次郎、満洲文学、文化統制、植民地文学、北鉄譲渡、東清鉄道、白系ロシア人

本論では、北村謙次郎の短篇小説「苦杯」を取り上げる。この作品は北村が1944年に執筆したもので、『満洲公論』に発表されると同時に、「酒頌」というタイトルで中国語に翻訳され、『芸文志』に掲載された。

北村は1904年、東京に生まれた。幼少時に家族と共に関東州の大連に渡ったが、大連中学校(のちの大連一中)卒業後、東京に戻り、青山学院、国学院大学に通いながら文学修業を開始した。井伏鱒二、太宰治などと付き合いながら、『文芸プラニング』、『作品』、『日本浪曼派』など多くの雑誌と関わり、日本文壇に確かな足跡を残した。1937年、北村は満洲国の首都・新京に渡った。そこで彼は雑誌『満洲浪曼』を創刊したり、長篇小説『春聯』を執筆したりして、満洲国唯一の職業作家となった。

「苦杯」は、北鉄譲渡の影響を受けた白系ロシア人の人間像を描いた物語である。葡萄酒醸造に専念したカズロフスキーは、北鉄譲渡によって商売が不調になり、自分の葡萄酒を愛飲してくれる友人イワンまで失った。しかし、彼は酒への信仰を貫き、妥協せずに憂鬱の日々を送っている。一方、北鉄譲渡によってソ連に帰国したイワンは7、8年の放浪生活の後、カズロフスキー宅に辿り着いたが、すでに酒を鑑賞する能力を失っていた。その再会の場面では、二人は、ただ葡萄酒を飲み続けているだけだった。

「苦杯」が創作された1944年当時、満洲国の文化統制によって、文学者はほとんど自由に創作ができなくなっていた。この小説を通して、北村は時代に対する憤懣を語っている。創作意欲があっても小説を書くことができない、その苦しさは直ちに中国人作家たちの共鳴を呼んだ。

それまでは対象に距離を置いた観察者の目で創作してきた北村は、この一篇をもって、従来の創作方法を突破した。執筆者という存在をうまく小説の中に溶け込ませ、社会から落ちぶれた白系ロシア人の心理を生き生きと表現することができた。とりわけ、一人の人物の心理動態に焦点を絞っているため、登場人物の人間性に対する観察と、それに対する深い洞察とが、この小説の大きな特質となっている。