総研大 文化科学研究

論文要旨

植民地日本語新聞の事業活動

―大連・満洲日日新聞社による
「在満児童母国見学団」をめぐって―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻  栄   元

キーワード:

在満児童母国見学団、『満洲日日新聞』、満洲日日新聞社、事業活動、租借地都市大連

1907年11月3日に関東州租借地の大連で創刊された『満洲日日新聞』(以下『満日』と略す)は、大連を中心とする中国東北地方における最大規模の日本語新聞として1945年まで発行され、同紙約40年間の発行期間は日本の満洲経営の期間とほぼ一致している。同紙には、大連を中心とした満洲の日本人及び中国人社会の動向に関する記事が多岐にわたって掲載されており、さらに、日本国内のメディアでは得ることの出来ない情報も多く含まれている点も特徴である。

創刊当初から「満洲経営の急先鋒」と自ら誇る満洲日日新聞社(以下は満日社と略す)は、「満蒙大陸の文化的開発を中心の目的として東亜全局の精神的並に物質的発達を企図し、助長し、新聞紙としての天職と使命を全ふせんとする」という方針の下で、紙面編集に限らず、『満洲十年史』、『南満洲写真大観』、『沿線写真帖』、『満蒙全書』などを出版し、「頭彩(1等賞)は何番か」などの予想投票のほか、「お正月の歌留多会」、「学術講演会」、「日中記者大会」、「飛行機展覧会」、「連合艦隊便乗見学」、「満洲児童の母国見学」など、各種のイベント事業にも積極的に取り組んだ。当時中国東北地域の中で広く読まれたという性質上、租借地という特別な環境下で行われたこれらの事業の持つ影響力の及ぶ範囲が推測できるだろう。

そのアプローチの一つとして、本稿では、満日社が主催し1920年から1925年にかけて継続的に組織された「在満児童母国見学団」に焦点をあてて、『満日』の紙面記事と照合し、その実施趣旨、実態及び成果を概観した上で、満日社が、日本大陸政策を推進するために、如何に植民政策を支えていたのかについて検討することを目的とする。また、同時に植民地における新聞社事業のもつ意味についても考察する。