総研大 文化科学研究

論文要旨

第18号(2022)

日比谷と浅草から離れる人々

―川端康成『東京の人』を中心に―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻  葉  暁瑶

キーワード:

東京、日比谷、占領期、浅草、戦後、川端康成

本稿では、川端作品における東京が集中的に表出された最後の作品である『東京の人』に着目し、ことに日比谷と浅草の二箇所に着目し、作中人物の経験と絡ませながら場所の特徴を検討し、作者が力を注いで描こうとする場所の意味合いを明らかにすることを目的とする。このような東京における重要な場所が果たした機能を明確にすることは、川端作品における東京の後退と京都の台頭の経緯を究明することにもつながる。

まず、弓子と昭男が別れを告げた場所としての日比谷交差点に焦点を据え、この二人が関係を放棄する理由を弓子と敬子との関係に求める。つまり、敬子に愛され育てられてきた弓子は、敬子との関係を何よりも重視し、かつ継続しようとするわけである。弓子が敬子の「しらじらしく、底冷たい目」を怖がるように、昭男に自らの感情を吐露しつつも、結局自らその関係を切る。日比谷という場所に象徴された「監視のなかでの自由」は、弓子の決意を促したのであるといってもいいだろう。

続けて、『東京の人』よりも四年前の『舞姫』、そして二年前に発表された『日も月も』にも描かれていた日比谷の街頭を補助線として、日比谷周辺の地域に対する検討を行った。日比谷という場所に象徴された「監視のなかでの自由」がこの三作に通底しているように思われる。その一方で、占領軍主導の東京都心における権力関係が占領統治の終焉にまたがってもなお温存されていることも明らかにした。こうした背景のもとで、「新しい日本」と「古い日本」の両極を象徴した司令部と皇居との対立の権力関係は、人々が東京を離れようとする契機になったことがいえよう。

最後に、作品に描かれたもう一つ重要な場所としての浅草に注目した。従来の浅草がもっていた特性は大震災や戦争、さらにその後の復興事業を経て徐々に色褪せていった。そうした浅草は、もはや自由を求める居場所ではなくなり、東京都心と同じようにそこから離れようとする場所となっていることを明らかにした。物語の結末の「空と海へ」という章題にもあるように、東京を離れる傾向が著しくみられるといえよう。

東京を離れる傾向が著しくなっていくなか、占領政策が解かれ川端作品における舞台の東京が浮上する(一九五二~一九五五)時期に引き続き、東京の後退および京都の台頭が現れてくる新しい時期が見えてくるのである。