総研大 文化科学研究

論文要旨

第18号(2022)

家畜を“盗んで”ノルマを達成する
社会主義期(後期)モンゴルにおける
操作可能な資源としての家畜

―モンゴル国ウブルハンガイ県ハラホリン郡の事例から―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 地域文化学専攻  バトオチル バルジンニャム

キーワード:

モンゴル人民共和国、社会主義、家畜交換、家畜泥棒・互奪性、牧畜社会、サイン・エル

本稿は、モンゴル国ウブルハンガイ県ハラホリン郡で行った聞き取り調査をもとに社会主義期モンゴルにおいてノルマを達成するため、牧民同士で相互的に行われていた「家畜泥棒」を互奪性という概念を用いてその実態を明らかにすることを目的とする。

「家畜泥棒」とは、文字通り、他者の家畜を盗み、それを自分のものとして所有をすることである。しかし、遊牧民同士での相互的に取り合うという不思議な現象が存在する。モンゴル高原では社会的な役割を持つ「家畜泥棒」が記録されているのは、筆者の知る限り、清朝支配の末期の頃である。この時期、富裕な王侯貴族と漢族の商人に借金を負う遊牧民との間に貧富の格差が広がってきた。そんな中、貴族や金持ちの家畜を盗み、もっと貧しい人々に分配する「シリーン・サイン・エル(平原の良き男)」という義賊たちが生まれたのである。

モンゴルにおいて特徴的なのは、比較的平等社会であった社会主義期においても「義賊」が存在したという点である。本稿では、牧畜共同組合の成員たちが家畜の生産頭数のノルマを達成できなかったとき、「サイン・エル(良き男)」と呼ばれる義賊に家畜を盗んできてもらうよう依頼していたことを報告すると同時にその「意義」について考察するものとする。当時のモンゴル人民共和国の計画経済政策により牧畜協同組合(ネグデル)や国営農場(サンギーン・アジ・アホイ)に設定された計画「ノルマ」を達成するため、地方の人々は必死に働くことになった。しかし、その一方で家畜は「生きた財産/生産手段」であるので、季節によってはガン(干害)やゾド(寒害)が起こると家畜が大量死する。そんなときネグデルの家畜を放牧する牧民たちは、何とかしてノルマを達成させるために「家畜泥棒」に他の地域から盗むことを依頼するわけである。こうした社会主義時代の家畜泥棒は、「サイン・エル(良い男)」と呼ばれた。

つまり、モンゴル人民共和国では「盗まれた家畜(馬)が操作可能な資源としてインフォーマルな社会関係の源泉のひとつとなっていた」ということである。そして、こうした家畜を盗む人が、人々からサイン・エル、すなわち「良い男」として肯定的に評価されてきたことから判断するに、非公式な形ではあるが、モンゴルの地方の牧民が「家畜泥棒」互奪性によって、ノルマ達成の重圧から救われてきたということである。