総研大 文化科学研究

論文要旨

第19号(2023)

民族身分の戦略的利用

―四川省黒水県黒水チベット族の観光開発を事例として―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 比較文化学専攻  孫   文

キーワード:

観光化、開発、少数民族、民族身分、黒水チベット族

2008年「5・12 ウェンツァン大震災」の発生により、中国四川省の西北部の少数民族地域では甚大な被害を受けた。筆者は2010年から、四川大地震後の復興をテーマとして被災地黒水県のチベット族の調査を始めた。長期間のフィールドワークを通じて、災害の復旧だけではなく、2013年以降の貧困削減計画によって、調査対象の黒水チベット族の日常生活が激しく変化している一方で、彼ら自身の民族意識の表明が顕在化していることが明らかになった。その理由として、経済成長の手段として観光事業が推進され、少数民族文化の資源化が進んでいることが考えられる。しかし政治的には中華民族という国民統合のイデオロギーが強化されているという現実がある。本論文の目的は、このような状況下に、黒水チベット族というチベット族のサブグループが、観光開発を契機に、自身の民族身分をいかに戦略的に用いているかを明らかにすることである。

本研究は、まず中国の少数民族の開発に関する「脱政治化」論とその反論を紹介し、本論文の理論的関心を示す。次に、研究対象としての黒水チベット族の民族的帰属に関する歴史的、文化的特徴について述べ、なぜ黒水チベット族を研究対象にするのかを論じる。そして、現在の観光開発に焦点を移し、黒水チベット族の観光村である羊茸ヤンロンと、黒水県の紅色観光を事例に、黒水チベット族の民族身分の戦略を明らかにする。最後に、黒水チベット族は民族身分を戦略的に利用して、開発に参加する政治的正当性、民族文化の真正性、国家統合のイデオロギーへの参入を確保しようとしていると結論する。