総研大 文化科学研究

論文要旨

伝統演劇からみる近代―逍遙の近松研究―

文化科学研究科・国際日本研究専攻 東 晴美

キーワード:

坪内逍遙 近松門左衛門 批評 伝統 古典

本稿では、坪内逍遙を中心とした研究会が明治二〇年代に行った近松門左衛門研究について考察を行う。

坪内逍遙の研究は、近代文学分野、近代演劇分野で行われることが多い。しかし、近世演劇研究分野では、逍遙の近松研究は、その重要性を失っている。戦後、近松門左衛門のテクストや周辺資料、さらに近世期の演劇資料が次々に発見され、整備されるようになった。したがって、そのような資料を見ずに書かれた逍遙の研究に言及されることは少ない。

しかし、前近代の作品が近代において「日本の古典文学」として評価をされるという問題について考えるとき、坪内逍遙の近松研究を詳細に検討する必要があるだろう。

さらに、前近代の舞台芸術である歌舞伎や人形浄瑠璃は、現代もなおショービジネスとして成立し、世界遺産に指定されている。前近代の作品が、近代以降に伝統演劇として生き残るプロセスを明らかにするためにも、まず坪内逍遙の近松研究を考察する必要がある。

本稿では、坪内逍遙が、その弟子たちとともに行った近松研究のごく初期段階の資料である『葛の葉』『延葛集』を使用しながら分析を行う。

まず、『葛の葉』『延葛集』は、坪内逍遙の文学・演劇理論の資料だけでなく、アカデミック・クリティシズムの方法論を模索する実検の場であることを明らかにした。

次に、近世期に名声は高くとも作品自体の再演が少ない近松を、何故近代のインテリたちが研究の対象として選んだのかについて考察を行った。その結果、近世期に生まれ、近世期の文芸に精通した人物をオブザーバーとしていたことが明らかになった。さらに、そのオブザーバーたちが愛読していた一九世紀前期の小説の作家たちが、こぞってさらに一世紀近く以前の近松や同時代の文芸を評価していたことを明らかにした。これらは、一般論を点でつなぐ状況証拠ではなく、具体的な人間のつながり、人と資料の出会いを紹介しながら、線として繋ぐことが可能であることを明らかにした。

最後に、近松研究会のメンバー以外の批評家と逍遙の論争を紹介しながら、『延葛集』で行われていた批評方法がより確固たるものになることを明らかにし、その批評方法が、舞台の劇評に応用されていることを明らかにした。

以上の考察を通して、近松が日本の古典文学を代表する作者の一人として評価されるに至る背景、その評価の基準が何であるかを明らかにした。