総研大 文化科学研究

論文要旨

寂然『法門百首』と今様

文化科学研究科・日本文学研究専攻 大野 順子

キーワード:

寂然 法門百首 今様 法華経

院政期の歌人である寂然の『法門百首』は、春・夏・ 秋・冬・祝・別・恋・述懐・無常・雑の十の部立に各十首ずつ、法文題による和歌を詠み、さらに百首それぞれに注がついているという、きわめて特殊な構成の百首である。ここで用いられている法文題については、題に用いられた 句の出典や傾向などがすでに詳しく論じられており、そのなかで法華経を中心とする仏典の広範囲から法文題が取り 集められていることについて検証がなされている。また、組題の源流が『堀河百首』にあることも早くから言われていて、部立ての組み立て方や歌の表現の影響関係などから詳細に論じられている。その流れの中で、本百首の題が仏典の広範囲から採集された理由について、『堀河百首』に倣って細かに配列されたと思われる歌題に沿った句を仏典 類から探し出す過程で、自然と出典の範囲が広がったとの指摘されている。

そこで本稿は、法華経をはじめとする仏典の広範囲のなかから、その法文題が如何なる理由によって選ばれたのかを探った。そして、その理由の一端に、当時の新興歌謡である「今様」が関わっている可能性を考察した。

寂然といえば勅撰歌人として著名であるのみならず、家 集『唯心房集』に今様五十首が収められていることでも知られる。この今様五十首に関しては、寂然の自作か否か未だ結論が出ておらず、愛唱歌の集成ではないかとの指摘もある。しかし、家集に纏まった数の今様があることから、少なくとも今様に関して一定以上の愛着があったであろうことが推測される。また今様はといえば、現存する最大の今様集『梁塵秘抄』の半数以上が仏教に関わる歌詞を持っており、そもそも仏教との繋がりの濃い歌謡である。よって、法文題のみで構成された『法門百首』にその影響がある可能性を考えてもよいかと思われる。

実際に本百首を見渡すと、いくつかの和歌に付された注と今様の詞章との間に、表現の近似が見られた。むろん、仏典にある内容が題材となっているため、今様ではなく仏典類から表現の発想を得た可能性も否定はできない。しかし、注の中には、仏典では見られない今様独自の言い回しが用いられている部分が散見され、仏教的知識を直接活用したというよ りは、やはり耳慣れた歌謡から表現を取り入れた、と考えたほうが適当と思われた。あるいは、詞章の近接以外にも、歌の素材として珍しく、かつ今様に用いられている語彙が注の中に現れることも今回の調査からわかった。

ただし、口移しに広がり、場に応じて細かな詞章の変化を繰り返すという今様の性質上、作品のほとんどの作成年次がはっきりしないため、今回論じてきたのとは逆に『法 門百首』から今様が詠み出されてきたことも考え得る。しかしながら、今回例にあげたものの成り立ちが、和歌から今様あるいは今様から和歌と、すべてが一方向のみに向かっているとも言い難い。したがって今の段階にあっても、『法門百首』のいくつかの歌については今様から発想の糸口を得ていた可能性が残される、と考えてよいだろう。