総合研究大学院大学 文化科学研究科 文科・学術フォーラム 2008

ポスター発表

ポスター発表

19世紀江戸小説と〈地方〉

発表者所属名
日本文学研究専攻・国文学研究資料館
発表者氏名
大高 洋司

ここでいう「江戸小説」とは、260年ほど続く江戸時代の後半、西暦でいうと18世紀の半ば過ぎから、19世紀の前半くらいの間に江戸・京都・大坂・名古屋といった大都市で生産され、読まれた小説のことである。当時の言葉で「戯作(げさく)」というが、特に〈江戸〉の都市文化と結び付いたものが、「江戸戯作」として良く知られている。

「戯作」は、現在庶民大衆を相手にした俗文芸と認識されることが多いが、100年ほど続く「戯作」の流れの前半(18世紀)においては必ずしもそうではなく、江戸では、武士階級の作者が中心となって、古典的教養に基づきながら日常に即した卑俗な表現を操ってみせる、文字通り戯れの文芸として出発した。したがって、黄表紙・洒落本にしても、韻文形式のものでは川柳・狂歌にしても、前半50年の「戯作」には、常に読者の側の教養とセンスが試されるという側面があり、また、その基盤には独自の都市文化を育んだ〈江戸〉への賛美があるので、知的であると同時に内向きで、つまりは〈江戸〉というローカルに根ざした難解さが、常につきまとっているのである。

前半50年の戯作を〈前期戯作〉と呼ぶのに対し、いわゆる寛政の改革を間にはさんだ後半50年の〈後期戯作〉は、これとはかなり様相を異にしている。その内容は、古典的教養の少ない読者に対しても分かり易いが、説明過剰によるくどさを伴う。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は、言うまでもなく〈後期戯作〉の1ジャンルである〈滑稽本〉の代表作だが、その内実は、江戸は「神田八丁堀」からお伊勢参りと上方見物に出発した主人公の弥次さん喜多さんが、行く先々で失敗を重ねることから生ずる他愛もない笑いの繰り返しであり、〈前期戯作〉に見られたヒネリの効いた笑いは、ここには存在しない。『膝栗毛』は、にもかかわらず多くの読者に歓迎され、その命脈は、現在も保たれている。本作を評価するには、従来の(狭義の)「文学」的評価とは異なる基準を手に入れなければならない。そのための試みとして、私は、〈地方〉の視点から〈江戸〉に対峙してみることの必要性を考えるようになった。『膝栗毛』で弥次喜多を笑い、たしなめる読者の視点は、舞台になっている土地に住む人々のそれと二重写しになっている。もっとも良く笑えるのは、その土地に住んでいる人々のはずである。作者一九はむしろ、〈江戸〉ではなく〈地方〉の読者を意識して『膝栗毛』を書き続け、またその戦略が当たったからこそ書き続けることができたのではなかろうか。
同様のことは、一九と同じ時期に、ほとんど同輩の作者として出発した曲亭馬琴の読本にも言える。『南総里見八犬伝』をはじめ、馬琴の読本には田舎の描写が意外に多い。馬琴はほとんど江戸から出なかった人だが、地図や地誌類、また知人からの情報を活用して、主人公たちの旅する〈地方〉の村々を、できる限りの正確さで特定することを忘れない。それは、その村の人たちが『八犬伝』の読者となって、その場面に一喜一憂する可能性を、常に頭に入れているからであろう。
19世紀、未曾有の発展を遂げて全国に展開する商業出版及び流通網と、これを支える読書人口の大幅な増加があった(鈴木俊幸『江戸の読書熱』 2007)。

〈後期戯作〉が、庶民大衆向きの娯楽的消費財として文学的な密度を喪失することと引き替えに、特定の都市ローカルに止まらず、全国津々浦々を相手にする文芸に成長したことの意義については、間近に迫っている〈近代〉、あるいはネットワークのさらに巨大化した〈今〉につながる問題としても、もう少し積極的に考えても良いのではなかろうか。

テキストテキストテキスト