総合研究大学院大学 文化科学研究科 文科・学術フォーラム 2008

ポスター発表

ポスター発表

戦死者の遺骨を巡る沖縄戦の伝承―遺骨収集ボランティア団体の実践

発表者所属名
日本歴史研究専攻・国立歴史民俗博物館
発表者氏名
村山絵美

西アフリカのサヘル地方におけるソンガイ人社会と開発援助との関係を考察するために、当該地域における開発援助活動の現状を把握することを目的とした予備的調査を実施した。

[1] 沖縄戦における遺骨収集 

沖縄戦が展開され、約20万人もの死者を数えた沖縄の戦後は、夥しい数の遺骨を収集することから始まった。「激戦地」となった沖縄本島南部地域では、敗戦直後、多くの遺骨が散乱していたという。それらの大半は、各地の収容所から戻った地元の人びとの手によって、収骨された。

1950年代からは、琉球政府や日本政府が遺骨収集に関与するようになる。その結果、1960年には、目につく地表にあった遺骨は、大方収集され、残りは、ガマ(洞窟)や山林に残すのみと考えられるまでとなった。しかし、残された遺骨は、ガマの落盤や、年月の経過とともに地中に埋もれてしまったなどの理由によって、収骨が困難な状況に置かれているものが多い。2000年代に入っても、約4000体以上の遺骨が、未収骨であるとされている。

現在も、遺族や宗教団体、ボランティアの手によって、遺骨収集が実施されている。本発表では、遺骨収集ボランティア・A団体による戦死者の遺骨収集の実践を通して、現在行われている遺骨収集と戦争の伝承との関係について報告したい。

[2] 現在の遺骨収集―遺骨収集ボランティア・A団体の実践―

遺骨収集ボランティア・A団体

2006 年にNPO法人として結成される。ボランティアメンバーは約20名であり、県内出身者だけでなく、県外の遺族も参加している。メンバーは、4、50代が中心であり、非戦争体験者によって構成されている。主な活動は、戦死者の遺骨の収集。戦争体験者や遺族から収骨を依頼される場合もあるが、大半は、遺骨が残っていると考えられる現場を自分たちで探して、収骨を行う。

  • ケース[1](戦争体験者から収骨の依頼)

    沖縄戦体験者・照屋美佐子氏(仮名・80代)から、戦時中、行動を共にしていたが、戦死してしまった同僚の遺骨収集を依頼される。2008年2月~5月の3ヶ月間、遺骨探しを行う。その結果、戦死場所は特定できたが、遺骨は発見できなかった。照屋氏と同僚の遺族は、戦死場所にて死者儀礼を行った。

  • ケース[2](遺骨収集ボランティア・A団体の企画)

    沖縄戦の慰霊の日にちなみ2008年6月22日に、市民に呼びかけて、開発予定地区の遺骨収集を実施。参加者は100名にも上った。家族連れから戦争体験者まで、幅広い層が参加した。当日は、頭部のない日本兵の遺骨が発掘された。

[3] 戦死者の遺骨を巡る戦争の伝承 

敗戦直後の遺骨収集は、慰霊の観点だけではなく、土地を開墾するなど、通常の生活を営むために実施された側面がある。時間の経過によって、人びとの生活が落ち着きだすと、戦死者の遺骨は、戦死者供養の一環として収骨されるようになる。そして、現在の遺骨収集は、慰霊だけでなく、戦争を伝承する現場として捉えられ始めている。沖縄戦の慰霊の日にちなんで行われた遺骨収集では、収骨作業を通じて、戦死者と向き合いながら、沖縄戦について考えてもらうことが、企画の意図にある。戦死者の遺骨は、戦争の最たる痕跡でもあり、戦争体験者が減少していく中で、戦争を伝承する存在として注目され始めている。