総括

総括

講評

 プログラムでは講評ということになっていますが、感想と謝辞でもってかえさせていただきます。プログラムにも書きましたが、今回のフォーラムは学生企画委員が主体的に計画立案することを重点に置きました。したがって、フォーラム担当の私としてはできるだけ細かいことには口を出さず、テーマ設定やワークショップなどの進行の仕方議論がやや行き詰まった時にのみアドバイスすることに徹しました。

 学生企画委員の努力と工夫により、こうした主体的な運営の目的は達成されたと思います。今後皆様が、学位論文を発表し、一人前の研究者として学会運営やシンポジウムの企画などに携わることがあると思いますが、今回の経験が大きな財産となることは疑いないと思います。学生の研究報告は、いずれも高いレベルであったと思いますし、ポスター発表やワークショップも、自身の研究をどうやって手際よく専門外の人にも伝えるかという今回のテーマに関係する試みであったと思います。

 シンポについては企画の趣旨に述べましたように、博物館の営みに象徴的ですが、個々の研究者が日常的に無意識におこなっている研究のプロセスを自覚的に考えてみようという趣旨で提起しました。なお、「伝える」という意味には、当然ながら相互にコミュケーションする意味を含意しております。

 個々の結論よりも、人文系の学問の広さや深さを各自が認識することができれば今回の企画は成功であったと思います。自分がやっていることを相対化すること、すなわち違う専攻の方法論や学問領域について、どうしたら横断的な議論ができるのかを企画者の一人として考え、提案しました。

 反省点としては、運営上の小さな課題はともかく、毎年の課題ですが、学生の参加者をもっと増加させる工夫があってもよいと思います。自主的な参加が望ましいのですが、単位化なども考える余地があると思います。あるいは他の大学院生にも、もう少し開かれた場にしてはとも思います。こんなに楽しい会ですからもっと多くの人に参加してもらいたかったと思います。

 最後になりましたが、まず昨日と本日の講演者・パネリストとしてお話しいただきました学生および先生の皆様、そして開催時期が例年よりもはやくなり短期決戦ではありましたが、この学術フォーラムについてアイデアを出して、豊かな会にデザインしていただいた学生企画委員の皆様、長野理事や塚田研究科長をはじめとする各専攻長の先生方、さらには葉山および基盤機関の事務の皆様に心からお礼を申し上げます。皆様の協力がなければこのような会はなりたちませんでした。どうもありがとうございました。学生と教員の研究科単位の交流を今後も大きく拡大発展させていくことを願っております。二日間どうもありがとうございました。簡単ですが講評とさせていただきます。

フォーラム担当 日本歴史研究専攻長 仁藤 敦史

総研大文化科学研究科 学術交流フォーラム 参加レポート

1.学生報告について

 自分の専門と異なった分野の報告を聞くのは、内容も方法も新鮮で刺激になるが、今回の報告では、岡本氏の「記念樹」についての報告が、最近調べていたことと関わる内容だったため、コメントさせていただいた。京都の東福寺や南禅寺、鎌倉の円覚寺や建長寺といった禅寺には、それぞれ開山僧が中国から持ってきたと伝えるイブキ(柏槇)の巨樹があり、名所図会や洛中洛外図屏風にも見える。岡本氏が扱ったような近代化に伴う事例以前に、前近代にも、海外からの新しい文化の導入に伴う記念樹という思想はあったのであり、テーマの広がりを考える上での参考になると思われた。

2.シンポジウム「博物館の役割―集める・保つ・伝える・究める―」

 歴博の事例に基づいて、歴史を展示することの意味と、来館者と共に考える展示とするための方法について報告させていただいた。

 討論では、専門性と一般性をどう調和させるかという点が主な話題になったが、コメンテーターの久保氏も述べたられたように、この両者は、実は大きな違いはないと私も考える。研究は、要するに分からないこと、知りたいことがあるから行っているわけで、確かに本来一種のアマチュアリズムであり、「分からない」という点において、一般の来館者と立場は同じである。ただし、知識の量や研究の前提にはやはり大きな差があるので、そこを埋めて全体性の中で示さねばならず、その意味でバランスを取る必要がある。

 展示リテラシーを「取扱説明書」でなく身につけてもらう方法については、当日は十分述べられなかったが、たとえば最近、「後出し解説」という方法を試みている。資料を見る前に説明を見てもらうのでは押しつけになってしまうが、資料を見てから、「これに気がつきましたか?」という解説を付けると、たいてい気づいていないのでまた見てもらえる効果がある。実際の展示でも、来館者にこのような巡回行動が見られることから、これをうまく繰り返せば、資料の見方、展示の見方を押しつけでなしに身につけていただけるのではないか、と考えている。

3.ワークショップ「研究を伝える」

 自分の研究を客観化し、相手を考えて語る、という訓練として、大変有意義であり、グループワークも楽しく、よいプログラムだったと思う。

 私が与えられた役割は全体の講評だったのだが、自分が属した班の制作に夢中になってしまい、他のグループについて十分コメント出来なかったのは失敗だった。(この場合、全体講評者は、個別の班には属さないで、全体の進行を見ていた方がよかったかもしれない。つまらなかったかもしれないが。)

 コメントで言うべきだったこととについて補足すると、参加者の多くは実際に展示する立場ではないから、と考えて遠慮してしまったが、各グループの発表は、研究をどう伝えるか、という点ではかなり考えられていたが、「展示にする」という面では、やはり十分ではなかったので、むしろ「展示の企画を作る」ということのおもしろさを積極的に話すべきだったかと思う。

 「展示とは何か」という点から考えると、塚田研究科長の開会あいさつでの言葉を借りれば、「展示は物を通してコミュニケーションする場」なのであり、基本的な要素は「物」と「場」である。物を使って展示することができるものはその方向でまず考えるべきであり、その点、林氏の研究は、台湾の「物」を積極的に持ち込む形で、環境再現的な要素も織り込んで展示にすることができるだろう。また、現在の問題を扱っていることからは、展示室は現地そのものではない、という限界を超えるために、現地と回線で結んでリアルタイムの情景を映したり、現地の人々と対話したりする仕掛けがあっても面白いと思う。 しかし、今回の研究対象は、いずれも「物」としての資料そのものを扱った研究ではないため、展示にしにくい面はあるのだが、それならば、展示のもう一つの要素である「場」の方に着目して、このような再現された場における体験的な展示とする方法が有効であると思われた。

 「栄華物語」における言葉の問題を扱った吉田氏の研究については、展示にするなら、栄華物語の世界そのものを再現し、系図に出てくる人物は、たとえばすべて当時の衣装を着た人物に演じさせて、栄華物語の内容をそれぞれの立場から語らせ、来館者もその世界の住人となって話を聞く内に、「今めかし」という言葉の意味が分かってくる、といったロールプレイによる展示ができると面白そうである。予算があればディズニーランド的なものにすればよいが、ないならないで、紙と色鉛筆でも、高校の教室に展示を作る、といったことは可能であろう。

 王氏の日露戦争前の海外修学旅行についての研究については、私も参加した班だが、写真など当時を示す物資料がある程度あるため、それを生かした展示にすることができる。さらに、中国の衣装を着て記念写真を撮る、といった再現された場における体験的な要素を盛り込むことができるし、また、年表には、修学旅行に行った生徒の実年齢も書き込めば、自分がその中学生になったつもりで考えることもできよう。日中戦争の頃には壮年になっているはずだから、修学旅行の縁で上海に店を作ったが戦争で帰国を余儀なくされる、といった、近現代史の転変を、自分のこととして感じることもできるだろう。

 石橋氏の英語学習に関する研究は、最も展示になりにくそうだが、これも、ロールプレイ型にすれば、教室的な場を作って、それぞれの学習方法がどのようなものであるかをバーチャル的に体験してもらい、その結果TOEICの点数が何点上がったか、といったことを体験してもらうことができるだろう。

 一日目のシンポジウムにおいても、展示は観客がいて初めて意味が生じる、と述べた。展示室において、来館者は「観客」という役割を演じているのであり、その一種の演劇性を積極的にとらえ、展示に本当に不可欠の要素として取り込んでしまう、というタイプの展示は、以上の様な形で構想することができる。

 展示というものの意味と可能性を、改めて認識させられたワークショップであった。

日本歴史研究専攻(教員) 小島 道裕